ひらめきと感動の世界

コーヘン大使高野山を行く

コーヘン大使高野山を行く

エリ・コーヘン前駐日イスラエル大使の「ひあめきTV」登場を記念して、現役大使時代に斑目さんがコーヘンさんを高野山にご案内したときの写真を掲載します。
現役イスラエル大使の浴衣姿、正座など貴重な写真もございます。“郷に入れば郷に従え”を身をもって実践するコーヘン大使のユダヤ人魂には、大きな感動を覚えます。

 

高野山シリーズ1.『金剛峯寺』

高野山シリーズその1.は「金剛峯寺」をお届けいたします。
金剛峯寺は真言宗高野山派の総本山で、全国3000ヶ寺、信徒400万人の統括本部である。もともと、高野山のある山は、古くから霊山として崇められ、たかの山と呼ばれていた。唐から帰国した空海は真言宗を持ち帰った。嵯峨天皇に京都の東寺で真言宗の教義を説くように下命された。
しかし、空海は真言宗は大自然の中で修行してこそ、その教義が会得できると、高野山の下賜を申し出て、嵯峨天皇が下賜された。約1200年前の817年に、高野山に入った空海は7里結界の法を修め、2年後から現在の大塔を中心とする大伽藍の創建を始めた。
本殿に相当する金剛峯寺は、豊臣秀吉が建立したことをあまり知られていない。そのときの寺名は清巌寺(せいがんじ)だったが、明治2年に隣接する興山寺と合併して金剛峯寺となった。金剛峯寺は真言宗の経典から命名されたもので、空海入山時から周辺一体の寺群を金剛峯寺といわれてきたという。
ユダヤ教の敬虔な信者であるコーヘン大使が、なぜ高野山参拝を願ったのかについては、このシリーズでおいおい触れていきます。土生川法印、松永管長ともユダヤ教と真言密教の類似点について話が盛り上がっていた。
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高野山シリーズ2.「高野山壇場伽藍」

エリ・コーヘン前駐日イスラエル大使の「ひあめきTV」登場を記念して、現役大使時代に斑目さんがコーヘンさんを高野山にご案内したときの写真を掲載します。
現役イスラエル大使の浴衣姿、正座など貴重な写真もございます。“郷に入れば郷に従え”を身をもって実践するコーヘン大使のユダヤ人魂には、大きな感動を覚えます。

高野山では本殿・金剛峯寺のある所が中心ではない。壇上伽藍のあるところが空海が開いた真言密教の聖地(根本道場)である。そのいわれは少し難しいが、金剛界と胎蔵界が融合した不二の浄土と言う意味である。
その壇場の中心伽藍が大塔であり、根本大塔とも言うことから、高野山真言密教の中心地である。いわゆる多宝塔と呼ばれるもので、わが国最初のものである。多宝塔は、塔の一階と2階を繋ぐ部分が円柱になっている。
胎蔵界の大日如来と金剛界の四仏が祀られている。現在の大塔は昭和12年に完成したもの。高さ48.5m、
23.5mの4面を持つ。塔内は撮影禁止であるが、特別に許可された。大塔の塔内を内陣と言うが、四仏の外に16本の柱には、堂本印象画伯の16大菩薩が描かれている。大塔は内陣を含み95年に修復されて、絢爛華麗になっている。
壇場伽藍には大塔を中心に金堂、西塔、東塔、御社(みやしろ)、御影堂、愛染堂、孔雀等、不動堂、大塔の鐘などがあるが、フォトアルバムにはその何点かを掲げた。壇場伽藍は奥の院と共に高野山の二大聖地と言われている。
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高野山シリーズ3.「高野山の聖地奥の院」

高野山一番の聖地は壇場伽藍でも総本山金剛峯寺でもない。奥の院である。
真言密教の奥義を極めた空海は、834年高野山奥の院に入定し、真言密教の三密加持を実践、翌835年即身成仏を遂げた。
その30年前の804年に入唐した空海は、西安(現長安)に赴き、清龍寺の恵果から、真言密教を直伝された。2年後帰朝して、最初は高尾山寺で比叡山延暦寺の最澄ほかに真言密教の灌頂(かんちょう=授与式)を行った。さらに嵯峨天皇から下賜された東寺において真言宗の教義を説いた。
しかし、空海は東寺の首都京都に長くいるつもりはなかった。それは真言密教は自然界と一体になることによって、その奥義が会得できるものと確信していたからだ。それで嵯峨天皇に高野山の下賜を願い出て、812年に許可されていた。
入定までの22年間、空海は高野山を真言密教の道場兼日本の聖地とすべく、壇場伽藍などの基本構想を一つずつ実現して行った。しかし、現在ある高野山のほとんどの伽藍は空海死後、弟子たちによって完成されたものである。
62歳で即身成仏した空海は、少年時代から生地讃岐ほか四国や紀伊山地で山岳修行していた体験の集大成が、高野山による真言密教の成就だった。空海没後も空海は即身成仏となって生き続けているという高野山信仰は、そのまま現世の極楽浄土信仰と直結している。
奥の院でお目にかかった日野西維那(ゆいな)を先頭に、一日2回奥の院に生きる空海にお膳が運ばれている。
「これを生身供(しょうじんぐ)と言い」、1200年間続いている。
高野山奥の院は、空海と真言密教1200年の歴史が直結している、わが国一大聖地なのである。
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高野山シリーズ4.「奥の院参道に眠る戦国大名」

高野山奥の院への2キロの参道両側には20万基の墓石・供養塔が並んでいる。これは文句なく日本最大の供養霊場である。あらゆる人の供養塔が並ぶ中、ひと際目立つのが戦国武将の墓碑である。
アルバムに取り上げた以外にも、豊臣秀吉、織田信長、明智光秀、上杉謙信、平敦盛などがある。生前の恩讐を超えて、一堂に会している様は、ここ高野山だけの特徴である。藩主に至っては、毛利家、松平家ほか約250あった藩主の110の藩主の供養塔があるという。群雄割拠後の兵どもの永遠の休息所でもある。
他に曽我兄弟、千姫、浅野匠頭、陸奥宗光、春日の局、関東大震災、阪神淡路震災、江戸大火焼死者などの慰霊塔など、個人だけでなく災害犠牲者の供養もされている。ここを訪ねた歌人は芭蕉、其角、虚子、与謝野晶子などがおり、それぞれの句碑が建っている。
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高野山シリーズ5.「高野山霊宝館」

開祖を戴く総本山には、重要文化財が集積しているが、中でも高野山は別格である。度重なる火災や明治維新の廃仏毀釈などを免れて、高野山に残る文化財を保管・展示しているところが霊宝館である。
国宝21点、国の重要文化財140点、和歌山県指定文化財15点ほかを含む文化財の合計は約2万8千点に上る。まったくの未指定文化財は5万点を超えると言う。
高野山霊宝館はこれらのすべてを展示しているわけではない。文化財のほとんどが、増設に次ぐ増設の大宝蔵という収蔵庫に保管されている。それらの収蔵品の中から、企画展を中心に常設展示されている。
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野山シリーズ6.「高野山宿坊西室院」

高野山内には53ヶ寺の宿坊寺院がある。高野山にはピーク時2000余ヶ寺院もあったと言うが、度々の火災で現在は117ヶ寺がある。
宿坊の原型は僧房である。高野山では壇場を中心にして、東西南北に「室」(むろ)と呼ばれる宿坊寺院が建てられていった。
その一つが西室院(にしむろいん)である。当院の本尊は児不動明王。西室院は一心谷の一心口バス停前にあり、手前右には徳川家霊台があるほか、道路を挟んだ前方には金輪塔と金輪公園がある。西室院には大小七つの日本庭園があり、四季折々の風情を醸す。個人で100名、団体で200名を収容する規模は、高野山内でもトップクラスの規模を誇る。
御住職夫妻、アメリカ帰りの若住職(?)夫妻に、お心こもったおもてなしをいただき、大使をはじめ一行は日本歴史文化の真髄に触れた。皆さん、高野山に泊まるならば、断然西室院ですよ。もちろん、希望すれば朝の勤行にも参加できます。
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高野山シリーズ7.「高野山点描」

今回の高野山訪問は、イスラエル大使に随行したもので、お世話役の斑目さんから、記録写真の撮影を依頼された。そのため、プライベートな時間は実質ゼロ状態。その寸暇を忍んで撮影したのがこの点描である。
高野山を本当に理解するなら、7口に繋がる登山道を歩くのが一番である。それは高野山町石道、西国街道(麻生津道)、三谷坂天野の里、高野街道、黒河道、大峰道、熊野古道小辺道、相ノ浦道、有田・竜神道を経由して、大門口、不動坂口、黒河口、大峰口、大滝口、相ノ浦口、竜神口の七つに集約される。
これらの道を登ると海抜900m前後の台地が開けたところに高野山の山内がある。正に自然の恵みそのままが、聖地高野山になっているのである。
通り道に撮った写真だから、高野山の本当の聖地を表現していないが、いつか7口の表参道とも言うべき高野山町石道を歩いてみたい。それは紀ノ川の東岸にある慈尊院からの出発になる。麓にある空海を「たかの山」に案内されたとされる丹生都比売神社にも寄ってみたい。この道は藤原道長・頼道らの貴族から、白河・鳥羽上皇、西行法師、法然上人、芭蕉など多くの歴史上の人物が高野山に上った道だ。不動坂の山内直前には女人堂がある。ここは明治まで高野山全体が女人禁制の聖地だったため、女性はこの女人堂に参拝して下山したのだと言う。
高野山は単に真言宗金剛峯寺の総本山だけでなく、日本を代表する仏教聖地である。陀羅尼助は高野山だけでなく、高野山と共に世界遺産になった熊野・吉野の山の恵の和漢薬である。一方、般若湯で喉と腹を潤せば、安眠・快眠を約束される。
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高野山シリーズ8.総集編「広大な聖地高野山」

高野山シリーズの総集編は、各シリーズに漏れた写真の中から、ベストショットを選び出し、イスラエル大使の聖地訪問をダイジェスト的にまとめた。それにしても、世界で最も古いユダヤ教の由緒正しいラビ(キリスト教の司祭に相当)家に生まれたコーヘン大使の高野山訪問は空前絶後の画期的なことだった。
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