『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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95第5章 橘諸兄、逸勢そして嘉智子皇后れた。以長は筑前守・大だいぜんのすけ膳亮、従五位上に任叙、氏長者となり嘉応元年(1169年)に没した。その子以政以下はいずれも以を通字とし、位階はおおむね正四位下まで昇り、氏長者となり、室町時代に及んだ。一方、以実の子は知宣といい、この一流の歴代はいずれも知を通字として次第し、鎌倉時代末期の知尚は左京大夫・形部卿を歴任し、没する前年の応長元年(1311年)には従三位に昇った。その後、舎兄の知顕の子知任、その子知繁も上階したが、室町時代初期、知繁の孫正四位下知興を最期に絶家となったようである。≲*1147年*キリスト教諸国が聖地エルサレムを奪還するため第2回十字軍を派遣≳――以長以来、以を通字とする一流の方も、室町時代初期に活躍した以基が左さ馬まのかみ頭・中なかつかさだゆう務大輔を歴任し、応永十九年(1412年)には従三位に叙せられ公卿に列した。家名を薄すすきと号するのもこの頃であろう。≲*1492年*大航海時代。コロンブスがアメリカ新大陸を発見する≳――『公卿補任』には「大納言好古已来十五代中絶」と注されている。実子なく、山科

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