『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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84かと言ったって、貴族化するまではみんなそんな程度のものですよ。以広の鎌倉での仕事ぶりだって、逆にそういう系譜を持っていたから重用されたと考えてもいいんじゃないですか。本当に思いのほかルーズな時代ですから。☆三木靖・鹿児島国際大学短期大学部名誉教授――「橘以広は橘広房の子」と結論付けた、この論理。子孫の立場として現時点で、こう判断するのはごく自然であるように思いますが。甘い思い込みでしょうか。いや甘いとは思いませんし、大事な問題提起でしょう。ご子孫がいろんな伝承がある中で、そういった系図を検討していくのは普通であって、そうやって本当の姿に出会えるようになる。そんなイメージで見ています。――京都橘氏に無関係の人間が「橘」「以」という名を、勝手に名乗るということはありえますか。

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