『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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68の勢力を急拡大させる源頼朝の御家人だった。御家人は勲功などを理由に地頭職の名で諸国の領地が与えられ、地頭職を得た御家人はその地の名を自らの名字として名乗り始める者が多かった。惟基がそのパターンで「斑目」を名乗り始めたというのは時代の流れとして十分にありえることなのだ。では誰が、いつ、斑目の領地を与えられたのか。それを学者・研究者に問うたら、以広説、惟広説、惟基説と分かれた。しかし誰の時点で与えられたにせよ、「斑目」を名乗り始めたのは系図の添書きを根拠に、「斑目惟基」からと見るのが最も自然であり、学者・研究者の見方も一致していた。だれが与えられたかをめぐっては、『斑目家文書』の冒頭文書として知られる『出羽国斑目御下文案』がある。以下の通りである。意味するところは、橘元長を建永元年(1206年)

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