『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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67第3章 惟基が「斑目」を名乗り始めた 第3章 惟基が「斑目」を名乗り始めた橘以広が京都橘氏であるとすれば、その系統はなぜ薩摩斑目家として「斑目」を名乗っているのか。京下り官人の流れのままでは「橘」でしかないはずだ。ここでまた、『橘姓斑目氏系図』に立ち返ることが必要になる。以広を起点に五世代の流れが記載されたその系図を見ると、以広の子・惟広の次男として惟基の名がある。そして、その惟基の右の添書きに「斑目三郎兵ひょうえのじょう衛尉」。これがこの系図にただ一つだけ記載された「斑目」の名である。つまり、これを素直に読めば、以広に始まる5世代の橘氏の系統が「斑目」を名乗り始めたのは惟基の時からということになる。系図の表現の形式論だけではない。当時、以広・惟広は文官だったとはいえ、鎌倉幕府

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