『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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65第2章 「100%の立証は不可能」だが② 以広は鎌倉幕府の事績を記録した『吾妻鏡』によって実在を保証される人物である。③ 以広は、『吾妻鏡』に記された政まんどころしゅう所衆などの仕事の内容からしても、京下り官人であることは間違いない。④ 京都橘氏の本流として「以」の字を通字とする一族がいる。⑤ 以広は『吾妻鏡』を見ると、1100年代後半から1200年ごろまで活動していた。⑥ 京都橘氏の「以」の字を通字とする一族の系図の中で、「1100年代後半から1200年ごろ」を見ると、広房を父とする以長・広仲・以実兄弟の位置に重なる。⑦ 以実の下に、さらに以言・広言という弟がいたことが『平安遺文』に所収された『橘廣房處分状』によって確認できる。

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