『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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57第2章 「100%の立証は不可能」だがしかし、さらに、あえて疑問を見つけて、宝賀氏にぶつけ続けた。なにせ以広が京都貴族の系統だとすれば、これまでの取材を根本的に修正する必要があるのだ。重箱の隅をつつくような、そんな疑問をメールで繰り返すド素人に、宝賀氏は夜中遅い時間まで使って懇切丁寧に返信してくれた。――「以実の下に広言、以言という弟がいる」というのは事実でしょうか。無礼ともいえる追及にさえ、こうアドバイスしてくれた。「東大史料編纂所のデータベースで『平安遺文』の記事を探せば見つかるはずです。『平安遺文』の記事など東大のデータベースの記事内容を否定する学者は、よほどの偽文書で、それが明確ではない限り、いないはずです」『平安遺文』とは、東京大学名誉教授で東大史料編纂所長を務めた竹内理三氏が平安時

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