『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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47第1章 薩摩斑目家は京都貴族の橘氏したら、わざわざ鎌倉にやって来ることはない。鎌倉幕府の実力者となった大江広元にしても、下級官人だったからこそ京都から鎌倉に下ってきたんですよ」そして森氏は、私が持参した薩摩斑目家伝来の『橘姓斑目氏系図』に目を落とし、こう読み解いてくれた。「この系図を見ても、斑目氏が橘氏を名乗るようになったのではなく、橘氏が斑目氏を名乗るようになっている。奥州合戦の後にでも、以広か惟広か惟基が、頼朝から出羽国の斑目の地をもらったのでしょう」そんな以広について「橘広房の子に間違いない」と、宝賀氏が解き明かしてくれたのだった。

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