『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
47/356

45第1章 薩摩斑目家は京都貴族の橘氏が、朝廷下級官人出身のBとDで大半を占め、Aの足立遠元とCのうち武藤頼平が武士出身者であるにすぎない。――問注所の職員も中原仲業や橘惟広(橘以広の近親カ)が寄人に任ぜられており、政所と同様、下級官人出身者を中心に構成されていたと考えられる。しかし、国会図書館、東大史料編纂所やネットを探しても、それ以上の情報は出て来ることなく、前述したように以広の名は橘「以」一族の系図にも見つけることはできなかった。京下り官人に最も詳しいとされる森幸夫氏に直接聞いてみるしかなく、小田原市の図書館を訪ねた。『六波羅探題の研究』は目崎徳衛・聖心女子大教授(故人)の研究を引用する形で「以広=京下官人」「惟広=京下官人」としていた。「二人はなぜ京下り官人だったと言えるの

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です