『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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37第1章 薩摩斑目家は京都貴族の橘氏下向関東、……」とある。昨年『薩摩斑目家の歴史』を取材した時から、このくだりが気になっていた。そのまま読めば、以広は源頼朝の時代に京都から鎌倉にやって来たとなる。このため、国会図書館、東大史料編纂所やネットで京都橘氏の系図を繰り返し漁ってみた。京都橘氏の一つの系統では、「以」の字を通字とする「以〇」「以△」「以×」といった名前がたくさん張り付いているからだ。しかし、いくら探しても京都橘氏の系図に「以広」の名は出て来なかった。だから、私も「なにかの間違い」と思っていた。宝賀氏も、その事を「きっとなにかの間違いですよ」と言っていたのだ。そこへ翌日、宝賀氏から丁重なメールが来た。驚くべきことが書いてあった。

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