『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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322自ずと連想するのは、京都橘氏との関係である。橘氏中興の祖と言われる嘉智子は嵯峨天皇の皇后であり、二人の新居として建立された嵯峨離宮がのちに大覚寺となった。白河斑目氏も京都橘氏の系統であるとすれば、大覚寺こそが当然最もゆかりを持つ寺ということになるからだ。もちろん、長作氏が「大覚寺皇家」に言及していることの意味について何人かの学者・研究者に質してはみたが、いずれも用語自体が初耳のようで、はっきりしたことは分からなかった。限られた時間の配分上、『斑目家由来について』もまたある程度の*嵯峨離宮の歴史を継ぐ大覚寺

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