『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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293第12章 酔談「班目沢と斑目郷」ですが、後三年合戦の悪者役として登場してもらう必要があったから、記録に書かれることになった。武忠は悪者として扱う必要がないから、記録として表面には出てこない。次の時代の展開として、今度は斑目四郎も吉彦秀武もともに名前が出てこなくなるのが、また不思議なところです。後三年合戦の結果として誕生した藤原氏の時代に、二人がどういう扱いを受けていたのかということが、これからの研究の課題ですね。――そもそも、あの時代は歴史史料に欠ける時代なんでしょ?10世紀から11世紀までというのは分からない時代、古代でもなく中世でもなくて、いわば「間の時代」なんです。遺跡がないのが11世紀なんです。11世紀後半から12世紀初めまで、日本列島の中に遺跡が出て来ない。竪穴住居と違って、地上に住居を構えるようになったから、生活の痕跡が土の中に残ることなく、時間の経過とともに消滅してしまったんでしょうね。とにかく、そういう意味で難しい時代です。これからは古代学者と中世学者と考古学者が、お互いに話し合っていく必要がありますね。

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