『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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283第12章 酔談「班目沢と斑目郷」んと添川、覇別、助川の3村をまとめたエリアを意味するようになった。そして全体を「斑目」郷と呼ぶようになったと考える方が自然なのかなと思います。それはいまのところ証明できないことだけど、斑目四郎は「在庁官人」として、「班目沢」だけじゃなくて、陸上交通と海上交通の結節点に位置しながら3村を一括したエリアとして治めていた。斑目四郎はそれだけの力を持っていたと考えた方がいいと思うんです。――その「斑目」論はたいへん魅力的ですが、他の研究者も同様に考えますかね。あまり言わないかもしれませんね。まずは*彼方に太平山を望む班目沢。目の前の林のすぐ下を沢が流れる。この班目沢を含む「斑目郷」と呼ばれる地域が広がっていたと見られている。

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