『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
267/356

265第11章 白河斑目家の橘姓はどこから⑤ 前述したように、斑目四郎と同じく前九年合戦で司令官を務めた橘貞頼・頼貞兄弟。その橘姓が同じ秋田北部で近接していた斑目四郎の一族に結びつく可能性は当然ある。⑥ 鎌倉御家人の橘公業が奥州合戦の勲功で文治五年(1189年)、秋田北部の総地頭に任じられた。その人事について、遠藤巌・宮城教育大名誉教授は「奥州合戦の時点で、秋田城では多くの橘氏が在庁官人として勢力を持っていたはず。秋田を統治するにはその勢力をうまく使う必要があるため、同じ姓を持つお前が地頭となって行けと、源頼朝から公業が大抜擢された」と見る。総地頭の領地には斑目郷も含まれており、斑目氏となんらかの関係があっただろう。⑦ 薩摩斑目家に伝わった『斑目家文書』によると、建永元年(1206年)に「橘元長」が斑目郷の地頭に任命されている。「橘元長」とは斑目惟秀の曽祖父である惟広。惟秀が白河斑目氏として活躍し始めるより一世紀以上も前の時点で、斑目郷周辺の斑目氏らと関わりを持っていたと見られる。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です