『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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245第10章 野中哲照氏インタビュー――「河雄」は、仕事場が「鎮守府」ということは、多たが賀城じょうもしくは胆い沢さわにいた?どこにいたことになるんですかね。ここは大きなポイントですよねえ。一族が陸奥と出羽に分かれていくところですから。この「鎮守府」が胆沢城だとしたら陸奥と出羽のちょうど真ん中という感じですもんね。そこから出羽国に行った長男「並松」の系統と、陸奥国に残った二男「盾男」の系統と、ここで分かれたように見えますもんね。――なぜ一族は、出羽と陸奥に割れちゃったんですかね。*いにしえの風が吹き渡り、静かな佇まいを見せる多賀城跡。

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