『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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235第10章 野中哲照氏インタビュー――ところで、この「小金」の系統について、野中さんが「俘囚の中でも内民化するのが極めて早かった一族」と見ているのは、なぜですか?この一族は遡って見ると、恐らくは700年代の後半から内民化しているということになります。後世の結果を見ても、出羽国の俘囚主で「真人」という高貴な姓を持つ清原氏と二重の縁戚関係を結ぶほどの勢力になっています。清原姓というのは都の姓ですので、本来は格段に上の位置付けなんですが、そんな清原氏とかなり同格に近い関係になっている。それも「吉弥侯部」という、いかにも俘囚らしい姓を持つ一族がです。実力の有無だけでなく、内民化した時期の早さ自体も、かなり群を抜いていたということだと思います。――内地の者が陸奥国に移住して俘囚となっていく方向性。一方で、極めて早かった内民化の方向性。「小金」の先祖の二つの方向性の矛盾を、どう理解すればいいんでしょうか。内地から移住して来た時点で、もう俘囚ですよ。かの地に住み着いたら、もう俘囚です。つまり、いやしめられる。辺境には辺境の身分社会がありますので、その地の支配体制の

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