『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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231第10章 野中哲照氏インタビューまあ簡単に言うと、「小金」は俘囚を制する戦いにおいて、鎧めいたものを着て、馬に乗り、刀や弓を手に、見事に先陣を切ったということじゃないですかね。――その弘仁二年といえば、朝廷による蝦夷征討の戦いである「38年戦争」が終了した年というか、朝廷の拡大政策が挫折した年?要するにお金がかかり過ぎ、厭戦気分も蔓延して、これ以上戦うのは無理となったわけです。ちょうど平安京を造りあげる時期と重なってしまったし。よく日本史では、平安造都と蝦夷征伐は同時進行で桓武天皇が行ったと言っています。国家権力の求心力を高めるために、新しい都を造るのも大事だったし、異民族を平定して辺境を確定するのも大事だった。◇

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