『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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211第9章 斑目四郎の先祖が見つかったということだ。先の擬任郡司と同じく、俘囚に対するこのような叙勲も、当時の東北社会の空気をよく反映しているといえる。この点も、中世以降の系図改竄者・捏造者が信憑性の演出のために時代考証をおこなって注入したなどとは考えられないものである」「吉弥侯部氏系図の秀武の傍注に『母清原武頼女むすめ』とあるのは、出羽山北清原氏系図の武頼の女子に『吉美侯武宗妻 秀武武忠母』とあるのと符合する」「吉弥侯部氏系図の武久(秀武の子)に『母清将軍武則女』とある点については、出羽山北清原氏系図の武則の娘、武貞の妹に『吉彦秀武妻』とあるのと符号し、『陸奥話記』『後三年記』の記述とも矛盾しない」こうした個別事実の信頼性を一つ一つ積み上げて、野中氏は『吉弥侯部氏系図』の信憑性は高いと結論付けたのである。◇ ◇

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