『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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205第9章 斑目四郎の先祖が見つかった武忠を吉彦秀武の弟とする系図は、後者の「吉弥侯部氏系図」です。一方、清原武則の子とする系図は、前者の「出羽山北清原氏系図」(野中の命名)です。正確な呼称は、後者が、 『諸系譜』巻一四・第四号 吉弥侯部氏系図で、前者が、『諸系譜』巻一四・第三号 清原氏系図です(いずれも国会図書館)。「吉弥侯部氏系図」によりますと、武忠を秀武の弟のところに位置づけたうえで、「母同」――つまり、兄秀武と同じということですから、生まれとしては、武忠は吉彦氏ということになります。そしてご質問の、この二説をつなぐ系図が第三の系図である成衡討死系図(野中の命名)〔正式には『諸系譜』巻一四・第二号 清原氏系図〕です。これによりますと、武忠は清

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