『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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190一つに決め切ることは難しい。橘元長の系統と橘公業の系統は、元々橘家の荘園が奥羽にあって、たぶん陸奥守や秋田城在庁になったりした昔の親戚か祖先がいて、それでまだ奥羽に荘園か何か権益があったから、その上に乗っかって入って来たという方がむしろ自然だと思うんですよ。いきなり新米勢力が地頭として入って来るよりも、それなりになじみのある人が入って来た方が、まだやりやすいという事です。そういうことだと思うんですが、この元長と公業については、なにがしかの関係があるとしか、僕は言いようがない。――斑目郷について研究した遠藤巌さんは、先ほど言及したように「公業は同じ橘姓の縁で総地頭に大抜擢された」と見る一方で、「斑目郷は秋田郡とは並列関係にある別立ての所領だった」「だから公業から貰ったものではない」ということをおっしゃっています。いずれにしても、橘元長の系統と橘公業の系統が全く関係ないと見るのは、不自然ですよね。それは不自然だと思います。一族といえるほどに近い関係かどうかは分かりませんが、何らかの関係はあると思います。

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