『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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165第7章 疑わしきは「家伝」の利益に地方行政官のトップとして格式が高い「守」にこんなに多くの先祖が任命されているとは常識として考えられない。当時は「××守」を僭称することが広く行われていたということなので、このほとんどはその類いと見られる。しかし、仮にその21人のだれもが実際には「守」でなかったとしても、なぜ「信濃守」の名乗りが突出しているのだろうか。他は3人~1人の水準なのに、「信濃守」だけが7人もいる。「信濃」は白河とも薩摩とも無関係の地域である。単なる名乗りにすぎないとはいえ、「守」の名の選択肢が数多くある中で「信濃守」を7人もが選んだのには、それ相応の理由があったに違いない。その理由とは、何か。だれか一族の縁者がむかし、本物の「信濃守」として実在していたのではないか。そうであれば、その名を誇りとして子孫たちが名乗りたがるということが十分ありえる。

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