『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
161/356

159第7章 疑わしきは「家伝」の利益に「白川斑目家の祖」とされる「直則」の生きた時代は傍注により12世紀半ばから13世紀初めとなり、橘以広の生きた時代にピタリ重なる。つまり、その時点で「直則」がすでにひとかどの武士になっていたとすれば、「京下り官人」の一員とはやや考えにくい。その可能性に比べれば、「直則」は、杳として知れぬ斑目四郎の子孫であると考える方が自然だろう。「斑目」の名は極めて珍しく、出自としては秋田県北部に限られているのだから。斑目四郎は「直則」の時代の一世紀前に、前九年合戦で第六陣司令官を務めたのち、歴史の記録から全く姿を消してしまったとはいえ、子孫がいた可能性は普通に考えて高いと見るべきだろう。歴史的合戦の英雄の子孫であれば武士として生きる方向に自ずと向かっただろうし、その英雄の血を引いているのだから、それなりの武士となっていく可能性は高い。こうした一般論と、「直則」から一世紀後を生きた惟秀との関係を考え合わせれば、「直則」の流れである白河斑目氏が白河結城氏との関係をすでに展開していたところへ、途中

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です