『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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150そのとき、五味氏が『橘姓斑目氏系図(増補版)』のコピーを提供してくれたのは、以広の子で惟基の父である惟広について、重要な情報が記載されていたからだった。惟広の添書きに「後改元長」とあったのだ。『斑目家文書』の一つとして有名な『出羽国斑目御下文案』の「斑目郷地頭」に任命された「橘元長」とは惟広だったと示す、驚くべき添書きである。このため、当時は惟広と元長の展開の方に気を取られ、惟秀の名には全く注目しなかった。ところが昨年、東日本斑目家と薩摩斑目家の関係を取材するうち、この惟秀という人物の重要性が浮き彫りになってきた。京都橘氏の系統でありながら白河斑目家の歴史にも深く絡んでいるようなのだ。つまり、「惟秀」の位置付け次第では、薩摩斑目家も東日本斑目家も全てが京都橘氏の流れになりうるということである。その可能性は、本当にあるのか――。

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