『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
150/356

148東日本斑目家の源流である白河斑目氏は白河結城家に長く仕えた家柄である。森氏はその歴史的事実との矛盾を指摘しているのだ。しかし、この点については、入間田宣夫氏に捕捉してもらうと、「確かに、頼朝の生きていたころは御家人同士で主従関係を作ることなど許されなかった。しかし、それも頼朝が死んで北條氏が実権を持ち始めてからは、だんだんと崩れ始めた」という。だとすれば、東日本斑目家が以広・惟広の京都橘氏の系統でありうる可能性は必ずしも否定されないことになる。鎌倉御家人をめぐる一般論を考えれば、そういう視野が開けてくる。では、東日本斑目家と橘以広・惟広の系統をつなぐ、具体的な可能性は存在するのか。それが存在するのだ。実は、両者をつなぐ可能性を持つ人物が明らかになった。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です