『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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122伯も翁の主張には始め不同意であつても遂に賛成せざるを得ざらしめられた。東久世伯も、伊藤(博文)公も、山縣(有朋)公も、翁に出遭つては、太刀打ちが出来なんだ。それは何であるか。實に至誠の力であつた。あれだけの気力のある人には滅多に出くわさない。」――「何としても己が主張の貫徹を計られる。其の主張は決して一人一家の事ではない。上、皇室の御事か国家社会の事、教育の事、宗教の事等で、ただの一度も此の翁から一人一家の私事を耳にした事はなかつた。」――「国語問題、教科書問題のために、恩給まで質に入れて、国家のため、教育のために盡され、其の最後は申すも申し難い事であるが、それらのために心身を過労し、窮死せられたと云う方が中って居ると思ふ。」――「持論は奏任以上の官吏が罪を犯した場合には『賜しし死』の制度を立てねばならぬ。苟くも、大命を奉じて治国の任に膺る者が國の法律を犯してと云うものは、免職免官位ゐで、すませるものではない。宜しく割腹して罪を、陛下に謝し、同胞にあやまらなければ

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