『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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110このほか、秋田県北部には古代から「橘」姓の人物が目立ち、以広・惟広の系統とのなんらかのつながりをうかがわせるが、これについては第11章で詳しく書くことにする。橘氏の公卿は10世紀後半には絶えてしまったが、それでも細々と血脈を伝え堂どうじょう上公家として二系統が続いた。以長流と弟の以実流で、いずれも広房の子。しかし、以実流(家号・武者小路)は室町前期で断絶し、以長流も室町前期から「薄すすき」氏を名乗った末に16世紀後葉には断絶した。京都取材では氏社の梅宮大社も訪れ、末裔という方と話したが、いまや橘氏同士の横の連絡は全くなく、どんな一族がいるかも知らないと言っていた。

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