『薩摩斑目家』の歴史
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92三木 まず思うことは、相模が本貫地であるのならば、なぜそういう話が古代、中世の時代に出ていないのかということ。本貫地というのは極めて大事なことだから、古代、中世の人たちが忘れちゃうとか、無視するということは考えられない。中世相模の武家だったとすれば、その事実について当時の人々が全然言及していないというのは、非常に不思議です。つまり、そうではなかったから、と思わざるをえませんね。 ―ところで、斑目四郎は「前九年の役」以降、行方が杳として知れずです。「薩摩斑目家」のご先祖さまは、いったいどこに雲隠れしちゃったんでしょう(笑)。三木 まあ、「前九年の役」以降は、中央の政局に関係することがなくなったということなんでしょうね。そうなってしまえば、歴史を記録する側からは、斑目四郎なる人物はいないも同然となるでしょうから。歴史上の著名な人物が、事件の後も中央の政局に絡んで、お定まりのコースを動いていくなどということは、われわれが思うよりはるかに少ないですから。

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