『薩摩斑目家』の歴史
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55参★祁答院の斑目家途端に不安になったが、「秋田市太平目長崎」と入力を大字名までにしたら、出てきた、出てきた、さっきと同じ「班目沢」の文字を飾った地図が。中世の時代ではともかくも、現代では「班目沢」の地名は、それだけメジャーとマイナーの目に見えぬボーダーライン上にあるということだろう。文雄氏が「先祖探しの旅」を執筆したのは1990年の前後。インターネットの検索機能など、利用しようもない時代のことだ。文雄氏がひたむきに徒歩で目指した「斑目」発祥の地へ、ひとっ跳びに飛行機で到着してしまった感じがして、申し訳ない気がした。三日後、鹿児島県に出張取材をした際、県立図書館にあった「角川日本地名大辞典5 秋田県」(昭和五五年発行)を試しにめくってみた。本編にはなかったが、末尾に微細な活字で詰め込まれた「資料編・小字一覧」の「秋田・目長崎村」の欄に、もはや懐かしささえ感じる「班目沢」という名があった。あると分かっていて目を運んでいかなければ、とても見つけることができそうにないほどの小さな活字だ。

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