『薩摩斑目家』の歴史
46/189

44いたはずです。その中で残したいものと残さないものを、本人たちが選んで分けていく。特に、自分たちの由緒を語るものとか、土地の由緒を語るものとか、権力者との関係を語るものとか。そういった文書を好んで残す傾向がありますから。要らないものはどんどん捨てていったり、裏紙を他の用途に使ったりしていく。だから、この斑目家文書には必ず、中世の時代を生きた斑目家の人々の、残そうという意思が働いていたはずです」「出羽国斑目地頭職補任状案」から数えれば八百年余り。その長きにわたる一族による古文書の継承は、鹿児島の特殊な歴史を思えばなおさら、並大抵のことではなかった。「斑目家文書」の沈黙が、長き継承を可能にした誇るべき家風を、雄弁に物語っている。☆以広と惟広「斑目家文書」は、全21通の最初に「出羽国斑目地頭職補任状案」なるものを配置している。建永元年の発令、出羽国斑目の地頭として「橘元長」を任命するとの内容だ。要するに、われわれ「薩摩斑目家」の先祖はかつて出羽国で地頭をしていたのだという、世間

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です