『薩摩斑目家』の歴史
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1★はじめに★はじめに「斑目という姓は絶滅危惧種だから、薩摩斑目家の歴史をアウトラインだけでも、まとめておきたいと思いましてね」斑目力曠さんから取材・執筆を依頼されたのは一月三十一日のこと。二日前には、力曠さんの内輪の喜寿祝賀会を、東京・恵比寿のレストランで、元高千穂交易会長の栃本京子さんの音頭で開いたばかりだった。私も末席に連なったその祝賀会で、力曠さんは鹿児島の芋焼酎「海童」のお湯割りを、うまそうに口に運んでいた。食事を終え、店員さんに「シカマケタ」(鹿負けた→馬勝った→うまかった)と駄洒落を飛ばすなど、サービス精神旺盛な力曠さんである。「海童」のほろ酔いが、自身の体に流れる薩摩の血を心地よく刺激したのだろう。来るべき「平成二十六年まだらめ会」の鹿児島ツアーのサービス企画として、「薩摩斑目家」の歴史を小冊子にし、メンバーにプレゼントしようと思い立ったに違いない―。

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