『薩摩斑目家』の歴史
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177★斑目家関連年表安土桃山1575天正三年斑目広基・輝定、佐竹軍と戦う。敵将の二歳の娘を助ける1576天正四年広基兄弟、結城義親に暗殺さる1587天正十五年島津氏、秀吉に降伏し、領土を縮小される。1590天正十八年このころ薩摩斑目氏は祁答院から出水へ移る?秀吉、結城・斑目氏の所領を没収1593文禄二年薩州島津家滅ぶ江戸1602慶長七年伊達政宗、斑目基庸を直参にする1612慶長十七年出水麓で生きる斑目氏。本家の藤左ヱ門尉の持高は70石1634寛永十一年このころ斑目氏、江戸へ(瓦製造工場を始める)1637寛永十四年本家が持高のない「一ヶ所」に急転落1840天保十一年困窮状態の本家に、他家から猪之助が養子に入る。血脈は絶えるも、名跡を継ぐ1844天保十五年由兵衛、斑目家の家督相続

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