『薩摩斑目家』の歴史
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169八★日仏と力曠したところ、同市がその提案を拡大発展させた一大施設の創設を構想し、現在建設作業が進んでいる。また、力曠さんは余生のライフワークとして、日本人を啓蒙するためのビデオ作品を次々に制作し、自身のホームページ「ひらめきと感動の世界」(http://www.hirameki.tv/)で公開している。 *出水麓に生きた斑目家の人々の墓は、出水市郊外の「薩州島津家の墓」が上り口に並ぶ丘を、少し上った鬱蒼とした林の中にある。出水麓で最も高名だった地頭、山田昌巌ら麓郷士らの墓とともに立ち、ひっそりと往時の歴史を留めるかの風情である。いまは世話する人もなく荒れていたその墓を何年か前に、力曠さんがきれいに修復した。しかし、力曠さんの生活の本拠はもう半世紀以上も前から東京にあり、出水の墓は遠隔にすぎる。このため平成六年、東京の広々とした小平霊園にあった日仏の墓を、新たに「斑目家の墓」として建立し直した。日仏はいまここに、父藤右衛門、母ヨシらとともに眠る。

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