『薩摩斑目家』の歴史
170/189

168 *近代の夜明け。出水の斑目家は、本家から日仏という真言宗大僧正が生まれただけでなく、その弟の良夫が昭和三年と七年に出水町会議員に当選している。分家筋では、日仏の一世代上となる斑目直治と子の重行がいる。直治は出水町の助役に大正十一年四月から十三年十一月まで就いたあと、町長を大正十三年十二月から昭和三年十二月まで務めた。重行は昭和十五年に出水町会議員に当選している。こうした人材を短期間に輩出した現象を見ると、やはり斑目家はただの外城郷士ではなく、名家の素地を継承してきていたということであろう。力曠さんも、電子関連のベンチャー企業を一部上場させ、世界に挑戦する異能の経営者として一時、時代の寵児となった。一方では、真言宗中僧正でもある仏教徒として、平和と安寧を願う社会貢献の行動が父に似る。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教がせめぎ合うように「聖地」としているイスラエルのエルサレムに、「仏教の祈りを」と梵鐘を製造して寄進。さらに同国のネタニア市に宇宙瞑想の施設となるプラネタリウムの寄進を提案

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です