『薩摩斑目家』の歴史
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15壱★総括とポイント従来、斑目氏が中世に生きた「祁答院」を去って「出水麓」に来たのは、島津宗家の薩摩統一によって祁答院家が滅び、同家に連なっていた斑目氏も凋落して、島津宗家の家臣になったためと見られていた。だが、どうも最近の研究では、見方が変わってきているらしい。むしろ、島津宗家に逆らって滅亡した薩州島津家の家来に、少し早い時期からなっていたのではないか。出水地域を本拠とする薩州島津家が滅んだために、在地の流浪武士の身となり、そして島津宗家に召し抱えられたのではないかというのである。出水市歴史民俗資料館の副総括責任者、肱岡隆夫氏へのインタビューでは、「出水麓の斑目氏」の姿が鮮やかによみがえった。肱岡氏自身が出水郷士の子孫であるだけに、研究者としての該博な知識に裏打ちされた子孫の主観に説得力があった。出水麓の斑目氏については、石高や家族の変遷などを戸別・具体的に記録した「軍役高帳」という史料が残っている。今回、その全11冊の全ページをめくり、各時代の斑目氏のデータをピックアップし、一覧表にまとめた。これを見れば、江戸時代の二百数十年間に

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