『薩摩斑目家』の歴史
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145七★出水市歴史民俗資料館副総括責任者・肱岡隆夫氏インタビューにしろ、自分たちで作る。ほかにも、芋を作って、そこから焼酎を作ったりとか。伊藤家の日記なんか見てみると、しょっちゅう焼酎を飲んでいます。これはもう他の日記にも出てくるけど、毎日毎日、焼酎飲んだ、焼酎飲んだ、というふうに書いてある。なにしろ自家製ですから、お金がかからない(笑)。 ―でも、当座をしのぐためには、仲間内で高の貸し借りをするしかなくなる。斑目氏でも第43番の軍役高帳を見ると、昔からの分家筋であるもう一軒の斑目氏、仲左衛門が多くの人への貸し手になっているのが非常に目立ちます。享保七年には本家の藤左衛門にも5斗5升貸している。ここまで件数が多いと、仲左衛門というのは金融業みたいなことをやっていたんですかね?肱岡 いや、そこまではいかないでしょう。当時の出水では、高の多寡に関係なく、半分以上の人が貸したり借りたりしていますから。そうなる理由はいろいろあるでしょうが、貸し借りをするつながりがある仲で、一種の「結ゆい」といいますか、助け合いを断れない関係が形成されていた気がしますね。

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