『薩摩斑目家』の歴史
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143七★出水市歴史民俗資料館副総括責任者・肱岡隆夫氏インタビューはもう下男扱い、もうほとんど農業しかない。ある程度格式のある家は分家をするわけですが、例えば30石あれば、長男に20石やって、弟に10石やるということができます。しかし、小さなところは分家したって、やっていけない。だけど、格式なんかの事情があって、分家をする。分家はしたが、さて家までは回らない。そうするとですね、出水の場合は、以前のままの同居というのがいっぱいある。だから、名簿を見ると分家して独立しているけど、一軒の家に以前のまま一緒に住んでいるというのがけっこうあるんです(笑)。 ―それが「無屋敷」の真相ですね(笑)。この六郎も確かに、「一ヶ所」状態だった藤左ヱ門の家から、一応分家してという形です。肱岡 やっぱり六郎も、相変わらず藤左ヱ門のところで一緒に住んでいたということでしょうね。建前は分家した形となっているけど、実際は一間借りて住んでいるということでしょうね。そんなのは、出水では珍しくない。だから「無屋敷」と言っても、どこかで野ざらしで暮らしているという話ではないんです(笑)。

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