『薩摩斑目家』の歴史
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139七★出水市歴史民俗資料館副総括責任者・肱岡隆夫氏インタビューないように思います。 ―というと。肱岡 確かに薩州家は、秀吉や島津宗家に逆らった張本人の長男、島津忠辰が処分されているのですが、あとの次男、三男なんてのは、ぜんぶ幕末まで続くんです。しかも島津宗家の家老職になっていく。であれば、家臣団に対する対応も緩やかというか、そんな感じだったんじゃないでしょうか。 ―まあ、元々、同じ島津一族ですからね。肱岡 薩州家時代には、地頭館の背後にある山全体が城山になっていて、この城山を中心に家臣団がずらーっと住んでいた。ちょうど斑目邸の並びあたりに、家臣たちが日常的に行き交う道があった。だから、斑目氏は薩州家の家臣として、以前からいまの場所に住んでいたと考えれば、不届き者の家がなぜ地頭館に隣接した位置にあるかがよく説明でき

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