『薩摩斑目家』の歴史
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129五★出水麓の斑目氏見ている。その人生の変転には、また後で触れることにする。平右衛門の家は、卯次郎改め「仲左ヱ門」が継いだものの、先代とは才覚が異なるのか石高は16石のまま動かない。六郎の家は清左ヱ門が継ぎ、石高は11石と着実に増やしてきている。以上が、出水麓で2世紀半を生きた「薩摩斑目家」の変遷である。総じて言えば、出水郷士としての宿命か、経済面での窮乏ぶりがとにかく際立っている。ちなみに「東日本斑目家」の系統で、秋田・横手藩の下級武士として幕末に生きた3戸の斑目氏と比べてみると、その径庭が改めて浮き彫りになる。横手藩の幕末分限帳に「斑目重左衛門37石」「斑目床兵衛25石」「斑目善左衛門15石」とある。

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