『薩摩斑目家』の歴史
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11壱★総括とポイント斑目という地名はない。だから、斑目氏は相模国の出身だと言える」との見解だった。だが、「出羽国」にも「斑目」という地名があることが分かった以上は、そうは言えなくなった。「薩摩斑目家」にとって、「出羽国」はもともと、以下に記す①②③の事情によって、大きな関わりがある地域であった。① 斑目氏の先祖と思われる「前九年の役」の軍団司令官、斑目四郎の出身地と言われている。② 「薩摩斑目家」が代々継承してきたことで知られる「斑目家文書」で、冒頭に配置してある建永元年(1206年)の文書に、先祖である「橘元長」が「出羽国斑目」の地の地頭に任命された、と書かれている。③ 宝治合戦(1247年)の余波を受け、薩摩に避難してきたと言われる斑目惟基が、それまで「出羽国」の地頭をしていた。

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