『薩摩斑目家』の歴史
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126☆血脈絶えるも名跡を継ぎ続ける閑話休題。軍役高帳に戻って、斑目氏の家計状況を再び追ってみる。第8代将軍吉宗が裁判と行政の準拠法として公事方御定書を制定して3年後、延享二年(1745年)の「43番」である。前回の軍役高帳から23年が経過して、藤左ヱ門の家を六右衛門が継いでいるが、石高は2石9斗7升9合と、石・斗・升どころか合の単位まで全く変わっていない。藤左ヱ門の家は先祖代々、真言宗の熱心な信徒であったと言われる。他戸のほとんどで石高が変動している中で、全く変動しない。そのこと自体がどこか不器用なまでに、清貧に徹する家風を物語っているように見える。全く好対照なのが仲左衛門の家だ。持高の内容が麓の全戸でも特に際立つと言えるほどに、激しい動きを見せている。前回5石5斗だったものが35石へと急増。4石余りは自主開拓地として増加しているが、それ以外はまるで貸し付けを業としているかのように、計

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