『薩摩斑目家』の歴史
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109五★出水麓の斑目氏いうわけだ。城下士と郷士の割合は、寛政十二年(1800年)で見ると、城下士1万5728人に対し郷士15万3171人。郷士が10倍近い規模に達していた。薩摩藩はこうした特異なシステムによって、他藩ではとても不可能な規模の軍団を保持し、幕末維新で圧倒的な力を発揮したわけである。外城地域の平民・農民を統治するのも、郷士の役割であった。その役職と機能はいかなるものがあったか。地頭職の下にいて、日常の行政を担うのが「噯(あつかい)」「組頭」「横目」の「所三役」である。噯は外城の門閥から選任され、郷の行政・司法・軍事を総攬し、数名の合議で物事を決めていく。組頭は数組に分けたグループそれぞれのリーダーで、警備・軍事や持高(給与)の庶務を掌る。横目は検察・訴訟関連を任務とする。さらに、この所三役の下に、書役・普請見廻・仮屋守(地頭仮屋の管理人)・野廻・相談役・行司(山林を掌る)・郡見廻(農事の監督・指導、夫役を掌る)・櫨楮見廻(櫨・楮の植栽

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