ひらめきと感動の世界

ひらめきギャラリー

  • HOME »
  • ひらめきギャラリー
江川英龍の生涯をまとめました。
「江川英龍~日本を守った知られざる英雄~」もご覧ください

TDk LAMBDA 周年記念集

●イスラエル ・TDKラムダ50周年 斑目力曠 インタビュー PDF

URLをクリックするとPDFを閲覧できます。

4b58d73030dc9d3c1c22f7828a763f75

●イスラエル ・TDKラムダ50周年 斑目力曠 インタビュー映像

※映像に乱れがあります。ご了承ください。

●イスラエル ・TDKラムダ40周年 斑目力曠 挨拶文

1969年、田中角栄先生が「失敗したっていいじゃないか、長岡に電子の火を灯すつもりで、思いっきりやってみろよ‼️ 」の一言で、
1970年,TDKのコアメモリーの協力工場として「日本電子メモリー」Nippon Electronic Memory Industry Company  NEMIC 」を創業しました。
最初は、富士通の230-1023025という機種の記憶装置「コアメモリー」の製造を手掛がけ、新世代の電源「スイッチングレギュレーター」の開発に着手しました。
ドロッパー式と言われる従来の電源の出力効率は30%と悪く、しかも競合が多くて将来性が見込めない為、NASAが開発したスイッチング方式の開発に挑戦しましたが、メイン部品のスイッチングトランジスターやスイチッングダイオードの日本製が無く、全てが輸入品で値段が高く標準電源として商品化することは不可能でした。
そこで、有り金をはたいてアメリカに飛び、5ボルト10アンペア 50W用のスイッチング電源、50台分の部品をボストンバッグに詰めて帰えってきました。
TDK電子事業部の技術部長に相談しましたら、斑目君、いくら効率が良く、小さくてもお客さんは電気代とか大きさは、気にしていないよ‼️「それよりも、先ず品質とコンピュータらしさだよ‼️と言われました。
その通り、なかなか売れないで苦労しましたが、1973年のオイルショックで電気代が4倍になって、省エネのスイッチング電源が脚光を浴びて急速に売り上げが伸びました。
しかし「勘定あって銭足らず」売れれば売れる程、資金不足になり現金化の速い輸出に力を入れました。
1974.初めて日本からアメリカへの輸出に成功しました。ドロッパー式標準電源メーカーの「ラムダエレクトロニクス」からスイッチング式電源の大口受注を獲得して一時の資金不足をしのぎました。
しかし、国内需要の増加に運転資金が追いつかず、1978年6月.ラムダの資金参加を得て「ネミック・ラムダ NEMICLAMBDA 」になりました。
そのラムダエレクトロニクスの故ネルケン会長が1979年、イスラエルのカミエル市に「ラムダエレクトロニクスイスラエル」を設立しました。
その後、英国のユニテック社がラムダグループ全体を買収した時に、イスラエルの会社をユダヤの会社という意識からか?
他社に売る決断をしました。
その時、即座に‼️私が買う‼️と言ってイスラエルカミエルの会社を買いました。
その時の私の気持ちはユダヤの人達に対する親近感だったと思います。
私の父の従兄が東郷平八郎で、日本海海戦でロシアに勝てたのはユダヤの協力があったからだと、私が小さい時から聞いていたものですから理屈抜きでのイスラエルだったのです。
イスラエルの人には何か身近な親近感を感じて、1992年にはイスラエル・ジャパンフェスティバルを全社員でサポートしました。
1996年にはエルサレムに「平和の梵鐘」の建立やローズガーデンに小さな日本庭園を造ったりしてきました。
そして2016年にはネタニア市と折半でプラネタニアを建設しました。
振り返って見ますと、私の人生の半分をイスラエルのドロンさんを始め多くの人たちから勇気と自信、そして誇りを与えられて生きて来たように思います。
カミエルの工場はレバノンの国境から僅か17キロしか離れていなく、毎日、イスラエルに大砲が打ち込まれてパトリオットミサイルが迎撃する。
その轟音にビックリしておりましたが、当時の社長故デビッドバッハさん、ドロンペレット技術部長を始め、働いている人達は平然とにこやかに仕事をしているのに私は本当に驚きました。
日本の長岡藩が約400年も堅持してきた「常在戦場」そのもの、それが掛け声だけではなく、現実に微笑みを持って平然と息づいている現状をじかに見て大きく感動しました。
宗教都市のエルサレムに「平和の梵鐘」を建てようと決断しました。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地に、佛教のシンボル「梵鐘」を建てることは大変難しいことでした。
イスラエルの政府やエルサレム市に一所懸命、説得してくれたのが、当時のデビッドバッハ社長と当社のシンガポール工場からカミエル工場に赴任した嶋村弘則君とドロンペレットさんでした。
何故、エルサレムの聖地に仏教かという批判の中での折衝は大変困難を極めました。
最終的に故ラビン首相の決断とエルサレム市のオルマート市長の行動力でサッカーガーデンに、昭和電工の鈴木治夫名誉会長
.安田火災の後藤康雄社長、雑誌-経済界の佐藤正忠主幹高千穂交易の栃本京子会長、国際美術村の陣内友幸さん、日本イスラエル商工会議所の藤原宣夫会長他、大勢の皆さんの協力を得て[平和の梵鐘]の建立に成功しました。
嶋村君はカミエル工場に着任すると、ドロンさんたちイスラエルの人達の非凡で豊かな発想力と技術力を更に発揮してプログラマブルな電源を開発して貰うために、試作用の半導体製造装置を1ライン(約1億数千万円)を置こうと真剣に考えました。
しかし役員の反対で実行できませんでしたが、その構想をドロンさんは嶋村君の次にきた近藤朋之君、渡辺一史君たちと顧客志向(市場のニーズとプリファランスの調査)の独創的なCIマーケティング、開発、設計、製造、品質向上と頑固で多彩な個性と才能の尖った人材を活用した稀な経営戦略(曼荼羅経営、球体経営)によって、10年後に完成しました。
その後、TDKの理解ある参加を得るまでの幾多の苦渋を乗り越えてこられたドロンさんに心からの敬意と感謝を評します。
今や、このプログラマブル電源はカミエル工場の主力製品で、ラムダグループ、いや世界でも指折りの商品になっています。
これから更に尖ったソフトの人材をドロンさん流に束ねて、世界で初めての[ A I 電源]を開発して欲しいと、私は願っています。
今まで会ったイスラエルの人達は大変非凡で独創的、しかもフレキシブルな発想力と時には頑固とも思えるほどの決意と持久力を持っています。
何か江戸、明治時代の武士道精神が今、此処に有りと感じます。
今の多くの日本人が失っている「善意の危機感」を持ち続けて「継続は力なり」今後ともドロンさんの「イスラエル魂」を維持して、常に微笑みに満ちたユニークな発想力を頑固に生かして頑張って頂きたいと心から願っています。
TDK-Lambda40周年に万感の想いを持って忠心よりお祝いを申し上げます。
斑目力曠

追記
田中先生から「失敗したって、良いじゃないか‼️」と言われて、スタートして半年後「潰して貰っては困るよ‼️ 」と言われました。

田中角栄先生ご祝辞

長岡祭りダイジェスト

米百俵に学ぶ軸のブレない貸借対照表経営


88年 弁論大会

ザ・ノンフィクション 21世紀の通行手形

院生・寮生の集い2018

コレ研修です ニュース 大覚寺

小泉首相 米百俵

尾藤イサオ ライブ in ABBEY ROAD〈クリスマスだぜぃの巻〉

佐々木正・斑目力曠 対談

88年8月2日長岡祭り 船上

ネミック・ラムダ 88年望年パーティー気楽坊長岡リハーサル

懐かしい思い出の人達 ネミック・ラムダ 1998年 望年ディナーショー

卒業論文『大日経の研究』 (デジタルブック)

卒論

佛教学専攻:斑目力曠

左の画像をクリックしますと、別ウィンドウが開き、『大日経の研究』卒業論文:佛教学専攻 斑目力曠(デジタルブック)をお読み頂けます。
 
私は昭和30年春、大本山大覚寺に入山して日光という僧名を草繋門跡から頂き、その時から大日如来の法を説く真言宗の重要経典 大日経に関心を抱きました。
空海は久米寺で大日経に出会い入唐求法を決断されたと伝えられています。
そこで卒業論文のテーマとして、大覚寺で修行以来、気に掛かっていた大日経の教えの部 住心品(じゅうしんぼん〕の菩提心を中心に、その真髄について考察することにしました。
昭和34年秋、京都山科の随心院の書院を3カ月間お借りして書き上げました。それを
3年後輩だった長谷川裕一君(現在・お仏壇の「はせがわ」相談役)、栄明忍君
(同・山口県萩市の「端坊」前住職)、前田至正君(同・広島市の「善法寺」前住職)の
3君に清書してもらいました。
今年に入って、この論文がいまも母校に保存されていることを知り、半世紀余ぶりに取り寄せて読み直してみました。
私は社会に出てからはビジネス界に進みましたが、企業の経営思想として菩提心を生かした「球体経営」を思考しました。
論文を読み直すにつれて懐かしいだけでなく、この「球体経営」の基本を確認することができ、われながら嬉しく思いました。
若き僧侶や仏教学徒に限らず、これからの新しい時代を生きていく若者たちのお役に立つことができればと、複製本を作製させていただいた次第です。
平成28年7月11日
真言宗大覚寺派大僧正 斑目 日光

イスラエルイベンツ現地公演

イスラエルジャパンイベンツ 現地公演の一部

イスラエルジャパンフェスティバル練習風景(1992年10月11日)

イスラエルイベンツ 帰朝公演(1992年12月19日)

喜多先生リハーサル長岡工場(1988年12月8日)

『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』(デジタルブック)

book2

著者:山﨑博史

発行人:斑目力曠

左の画像をクリックしますと、別ウィンドウが開き、『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』(デジタルブック)をお読み頂けます。

『薩摩斑目家』の歴史 (デジタルブック)

電子書籍

著者:山﨑博史

発行人:斑目力曠

左の画像をクリックしますと、別ウィンドウが開き、『薩摩斑目家』の歴史(デジタルブック)をお読み頂けます。

田中角栄氏書「ひらめき」

sho400拡大
昭和44(1969)年3月

ネミック・ラムダ長岡工場竣工式  斑目力曠あいさつ
田中角栄先生ご祝辞 昭和59(1984)年3月 映像

http://youtu.be/9kbj7Dj5eiA
動画の状態がよくありませんが、ご容赦ください。

斑目力曠 創業の歴史

幹部 托鉢研修

おはようジャーナル ぬり絵研修

大覚寺上井門跡あいさつ

耳寄り情報NO25 ネミックラムダ紹介

ニユースセンター 630 先端技術の現況 ネミックラムダ紹介

ビジネストレンド「托鉢研修」ネミックラムダ

IR VISIONS ネミックラムダ 日本語版

IR VISIONS ネミックラムダ 英語版

米百俵報道機関資料

対談 斑目力曠 VS 長谷川裕一

雑誌財界2009 5/12 春季特大号掲載
対談 斑目力曠 VS 長谷川裕一
雑誌財界のご厚意により掲載させて頂きました。

浄化の儀 不良品への戒め

NEW BEGINNING BIG BANG
1987年 ネミックラムダ株式会社 新潟県長岡市
電子部品に不良品が生じたことに対し、斑目力曠の「檄」とともに焼却処分、浄火の儀が執り行われた。

コーヘン大使高野山を行く

koyasan-kohen2
エリ・コーヘン前駐日イスラエル大使の「ひらめきTV」登場を記念して、現役大使時代に、 斑目さんがコーヘンさんを高野山にご案内した時の写真を掲載します。現役イスラエル大使の 浴衣姿、正座などの貴重な写真もあります。 “郷に入れば郷に従え”を身をもって実践する コーヘン大使のユダヤ人魂には、大きな感動を覚えます。shousai

菩提樹の大玉

run1photo-250出品者:三池孝尚

同級生交歓:龍谷大学

級生交歓: 龍谷大学 (雑誌「文芸春秋」1991年6月号(平成3年)掲載)

ryukoku1-200

菩薩勝慧者

sho1-400菩薩勝慧者……  (出品者:三池孝尚さん)

「生涯現役倶楽部」

『ゆかいな仲間』「生涯現役倶楽部」文・斑目力曠
navi-photo210
雑誌財界2007.4.24号掲載

 投稿写真 紅顔の美青年だったマコ

photo1 photo2 photo4 shousai

投稿写真 日本人以上のユダヤ人前駐日イスラエル大使エリ・コーヘンさん

P3 P2 p8a shousai

米ニューヨークで2009年1月15日に乗員乗客155人を乗せてハドソン川に不時着した
USエアウェイズの1549便 引き揚げ作業現場写真

cid_3 (1)投稿者/M.Egashira shousai